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羽柴秀吉・丹羽長秀・池田恒興 連署書状

テレビ東京系列人気番組「開運!なんでも鑑定団」に出品し、本物で新発見!300万円の評価をいただきました。

■放映日:4月9日(火)テレビ東京(福岡はテレQ)

 

萃香園初代当主・川村安次郎が大正6年に、親交のあった日蓮正宗品川妙光寺住職・有本廣賀より譲り受けたもので、有本氏の進呈但し書きには「真偽は定かではない」旨がありました。
今回テレビ東京系列の番組「開運!なんでも鑑定団」にて、初めて専門の方に鑑定していただき、書状が本物であるとともに、秀吉が天下人としてまさに動き出す歴史的背景や、秀吉の書状としては新発見でもあることから、大変価値が高いとの評価を頂戴しました。

当館1Fロビーでいつでもご覧いただけるよう、ショーケース展示いたします。

 

■解説

本能寺の変による織田信長亡き後、天正十年(一五八二年)六月、尾張国清須城にて、その後継者や領地を配分するための会議が開催された。またその翌年には、織田の勢力を二分する賤ケ岳の戦いに於いて柴田勝家に勝利した羽柴秀吉が天下人への第一歩を踏み出すこととなる。
本書状は、日本史に残るこの清須会議と賤ケ岳の戦いの間である閏(うるう)正月(一五八三年二月)に、後継者候補の一人でもあった、信長の次男・織田信雄の宿老らに宛てて書き送られたもの。
本来の書状全体が分割されており、本書状は後半部分として現存しているもので、花押は三名の直筆である。

掛軸全体:高さ1060mm、幅600mm / 連署書状自体:高さ145mm、幅500mm程度


■番組鑑定士の方による寸評まとめ

  • 羽柴秀吉、丹羽長秀、池田恒興が織田信勝の宿老に宛てた連署書状、本物である。
  • 本文、署名の部分はおそらく秀吉の家臣による祐筆(代筆)、それぞれの花押は秀吉、丹羽長秀、池田恒興の直筆。
  • 秀吉の天下取りの第一歩と言える「清洲会議」と「賤ケ岳の戦い」の間に書かれたものであり、その歴史的・資料的価値は高い。
  • 『豊臣秀吉文書集成』には収録されていない書状なので、新発見資料と言える。
  • ただ、惜しまれるのは書状の状態。
  • もとは和紙を二つ折りにして裏表に文字を書く「折紙(折り紙)」という書式で書かれていたと思われるが、依頼品は前半部分がなく、後半部分しかない。
  • 江戸時代になると、庶民の間に筆跡を愛好する趣味人が増え、歴史上の珍しい書を集めることが流行する。
    その結果、価値ある書の数を増やすために書を分断することがしばしば行われた。
    この手紙の前半が失われたのも、その結果であろう。
    これが完全で良好な状態だったら、800万円の評価が付けられる。

 

■年表

一五八二年(天正十年) 六月二日 本能寺の変  織田信長、討死
六月一三日 山崎の戦い 明智光秀、討死
六月二七日 清須会議 羽柴秀吉、丹羽長秀 池田恒興、柴田勝家
一五八三年 四月 賤ケ岳の戦い 柴田勝家、討死
八月 秀吉、大阪城築城開始
一五八四年 三月 小牧長久手の戦い 対織田信雄・徳川家康軍
四月 池田恒興、討死
一五八五年 五月 丹羽長秀、病死
七月 秀吉、関白に就任
九月 秀吉、正親町天皇より豊臣姓を賜る

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