ホテル概要

歴史・沿革

萃香園の歩み 久留米市とともに歩む伝統と格式の萃香園ホテルの歴史

初代当主 川村安二郎

初代当主
川村安次郎

明治15年 有馬藩鷹匠屋敷跡に茶房「鶴盟館」を開店
初代当主・川村安次郎
明治20年 中国経済使節 王治本氏が来園
萃香園と命名、屋号を「萃香園」と改める
明治44年 明治天皇陛下の御用達を仰せつかる
大正8年 合名会社に変更・営業目的を料理屋業とする
昭和5年 秩父宮陛下の御用達を仰せつかる北原白秋が久留米大学校歌作詞時に滞在
昭和7年 創業50周年を迎える

第2代当主 川村安二郎

第2代当主
川村安次郎

昭和10年 2代目当主・川村安次郎(忠次郎)就任
昭和12年 合名会社を合資会社に組織変更
昭和14年 閑院宮陛下の御用達を仰せつかる
昭和16年 ビルマ(ミャンマー)に南方支店を開設
昭和17年 朝香宮陛下が軍事援護事業視察のため来久
昭和20年 営業目的に貸家業を追加
昭和22年 米軍将校の指定レストランとなる営業目的にキャバレー業を追加

第3代当主川村好實

第3代当主
川村好實

昭和24年 3代目当主・川村好實就任
昭和28年 筑後川大洪水により再起不可能に近い被害を蒙る
昭和38年 石橋文化会館のレストラン経営を受諾
昭和43年 皇太子殿下(現上皇陛下)ご夫妻の御用達を仰せつかる
昭和44年 市民会館の落成によりレストラン経営を受諾
昭和46年 萃香園90周年に当り7階建ホテル部門を新設
昭和58年 萃香園100周年
ロビー、大広間、レストランその他を大幅に改造

第4代当主川村安正

第4代当主
川村安正

昭和61年 4代目当主・川村安正就任
昭和62年 客室及び3階ホールを改装
平成2年 秋篠宮ご夫妻が当園にてご休憩・ご昼食
藤井郁弥(チェッカーズ)様、当園にてご結婚挙式・披露宴
平成4年 萃香園110周年に当り百畳敷の大広間を取り崩し、九州最大級の大ホールを新設すると共に厨房、レストランを移転
庭園にみどりの滝を設けて景観を一新する
平成5年 皇太子殿下(現天皇陛下)が当園にてご休憩・ご昼食
九州料理業組合連盟大会の開催(平成12年にも再度開催)
平成12年 庭園の一角に個性的なチャペルを新設
平成14年 萃香園120周年に当りファサードを大幅改装
平成17年 神殿・ホワイエ・ブライズルーム・ゲストルーム・階段を大幅改装
平成23年 合資会社を株式会社に組織変更
萃香園130周年に当り2階鶴の間・ホワイエ・ブライダルサロンを大幅改装

 

 

「北は遠く宝満山の英姿を望み、筑紫次郎の清流を帯び小森野の平原を見る。東は高牟礼山耳納の連山に朝日を拝す。

西は背振の秀峯濃淡に夕月のさすを眺める。加ふるに人工の美を尽くせる築山及四季を失はぎる庭園あり実に雅致豊富にして菜花観雪に富む。座して一望の中に集まる」よく遊びにこられた古老の言葉です。

 

三本松町の矢野伍平の四男安次郎は有馬藩旧臣の大膳職であった川村市左衛門の養子として迎えられ、明治15年、星野・土屋・田中・田村諸氏など有志の後援を得て元鷹匠屋敷跡に茶房を開き、鶴盟館の屋号で開業、繁盛しておりました。

明治20年(漠歴光偖借丁亥)中国の経済使節王治本氏は眺望に感ずるところあって“萃香園”と命名、同席の星野武平氏のすすめもあり改号して今日に至っております。

 

此の間、久留米に行幸された、明治天皇陛下並びに皇太字殿下及び各宮殿下方の御用達を代々つとめさせていただき、また政府高官や将官が明治の元勲伊藤博文公の留書“萃香園”屋号額の玄関をくぐり清遊されておりました。

戦前・戦中には三本松町の丸万マーケットの食堂経営、南方派遣軍の指定としてビルマ支店の開設、共進会の出店等積極的に各方面の要望に応え精進してまいりました。

しかし太平洋戦争の終結とともに米軍が占領、米軍将校指定のレストランとなり「ダンスホール」の併設を強いられることもありました。

 

昭和28年の筑後川大洪水では再起不可能に近い被害を蒙りましたが、皆様方の叱咤激励により復旧につとめ危機を乗り切り、昭和38年には、BSタイヤ会長石橋正二郎氏が文化ホ一ル・文化会館等を久留米市に寄贈されるやそのレストランの経営を委託され昭和44年にも市民会館レストランも開き、料亭だけでなくレストラン経営にも力を注いでまいりました。

 

創業90周年の昭和46年に7階建ホテルを新設
100周年の昭和58年にてロビー、大広間、レストラン等の大幅改造

 

110周年の平成4年に百畳敷の大広間を取り崩し、九州最大級の大ホールを新設すると共に厨房レストランを移転し、庭園に滝を設け景観を一新しました。
平成12年には時代の要望と応え、庭園の一角に個性的なチャペルを新設

 

創業120周年の平成14年秋、ファサードを大幅改装
平成17年には、神殿「高砂」のスペースを大幅に拡張し60名収容とする工事と併せ、ホワイエ・ブライズルーム・ゲストルーム・階段を改装。“萃香園”の由来である、人・萃う(つどう)・花香る園に相応しい環境・施設を着実に整えて今日に至りました。

 

 

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